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東京高等裁判所 昭和59年(う)1215号 判決 1984年11月26日

本籍

東京都昭島市東町一丁目九六番地

住居

同 都立川市富士見町一丁目三一番一八号

不動産賃貸業

榎本喜助

明治四四年四月三〇日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、昭和五九年六月二〇日東京地方裁判所が言い渡した判決に対し、弁護人から控訴の申立があったので、当裁判所は、検察官佐藤勲平出席のうえ審理をし、次のとおり判決する。

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人井口英一名義の控訴趣意書に、これに対する答弁は、検察官佐藤勲平名義の答弁書にそれぞれ記載されているとおりであるから、これらを引用する。

所論は、量刑不当の主張であって、要するに、原判決の量刑は重過ぎて不当である、というのである。

そこで所論にかんがみ、記録を調査し、当審における事実取調べの結果を参酌して検討するに、本件は、貸家、アパートの賃貸業を営むかたわら、商品先物取引を行っていた被告人が他人名義で取引して得た商品取引清算益にかかる収入を除外するなどの方法により所得を秘匿したうえ、昭和五五年及び昭和五六年の二年度にわたり、各虚偽過少申告をなし、二年度で合計二億五二六九万一七〇〇円の所得税をほ脱したという事案である。そして、被告人に対する量刑の事情は、原判決が「量刑の事情」の項において説示しているとおりであり、特に、ほ脱額が巨額であるうえ、ほ脱率も昭和五五年が九九・三七パーセント、昭和五六年が九〇・三八パーセントといずれも高率であること、被告人は商品取引が投機性が強く、年度により所得の変動が激しいのに、税制上損益通算や損失の繰越控除などの手当てがないことから、将来損失の生じることを考慮して本件犯行に及んだものであって、その心情も理解できないわけではないが、本件において被告人が過去の損失を補って余りある多額の商品取引清算益の収入を得ている以上、これをすべて除外したことについてまで格別斟酌するに値する情状があったとはいえないこと、被告人が多数の他人名義の商品取引口座を利用していた理由の一つには税金対策上所得秘匿の目的もあったことは検察官に対する昭和五九年二月二八日付供述調書において自認しているところであって、本件は単なる虚偽過少申告にとどまらず、事前の所得秘匿工作を伴う計画的かつ巧妙な犯行であると認められること等に徴すれば、被告人の刑責は重いといわなければならない。

したがって、被告人は発覚後本件を素直に認めて査察に協力したこと、国税局の税額通知を受けて修正申告のうえ、本税、延滞税及び重加算税を完納し、更にこれに伴う住民税も追加納付したこと、本件につき反省悔悟し、今後は真面目に納税する旨誓っていること、被告人の健康状態、その他所論の指摘する被告人に有利な諸事情を十分考慮しても、被告人を懲役一年六月及び罰金五〇〇〇万円に処し、三年間右懲役刑の執行を猶予した原判決の量刑が重過ぎて不当であるとはいえない。論旨は理由がない。

よって、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 海老原震一 裁判官 小田健司 裁判官 阿部文洋)

○ 控訴趣意書

被告人 榎本喜助

右の者に対する所得税法違反被告事件の控訴趣意は次のとおりである。

昭和五九年九月三日

弁護人 井口英一

東京高等裁判所 御中

一 原判決には著るしい量刑不当の誤りがある。

原判決は「被告人を懲役一年六ケ月及び罰金五千万円に処する。但し、懲役刑についてはこの判決確定の日から三年間右刑の執行を猶予する」というものである。

右量刑は左のような情状を考慮すれば著るしく不当である。

(一) 本件事案は通常の所得税法違反とは多少異り商品取引における利益不申告という特殊な事案である。

いうまでもなく商品取引行為は、俗に「一夜大名の一夜乞食」といわれてるように極めて投機性が高く被告人のような素人の取引者は一般には利益をあげるよりむしろ損失を被るケースが極めて多い。

現実に被告人の場合も本件で摘発されたように昭和五五年、五六年の両年で三億円を超える利益をあげているが、過去昭和四六年、四七年頃には一億円を超える損失、また昭和五四年度には一億二千万円程の損失を出すなど損失が先行している状況であった。

このように現在利益があがっていても、いずれ損をする可能性が高いものであり、また商品取引において損失をしても年度が異なれば税制上何ら考慮が払われないということを考え合わせ通常の所得税法違反のケースより量刑の上で配慮すべきである。

(二) 取引上多数名義の使用について

原判決では被告人が商品取引を行うに際し自己の名義を使用せず「原島利夫」外数名の名義を利用したことについて、名義を分散することにより当初から所得を隠ぺいしようとの意図であったかのように判断をしている。

しかし右判断は事実と異なる。

すなわち、被告人は自己の名義を使用しなかったのは前述した昭和四六~四七年頃、商品取引において巨額な損失を出した際に妻ヤマ、長男敏晃に今後一切商品取引には手を出さないと誓約させられた手前自己名義を使用するわけにはいかず、他人名義を借用したものであり、また数名の名義になったのは商品取引業者の営業員が新規の顧客を開拓することにより営業成績があがることから営業員の希望を入れて数名の名義により取引をなしたものであり、事前に計画的に多数の名義を使用したものではない。

(三) 摘発後の被告人態度

(1) 調査への協力

被告人は昭和五七年四月末脳溢血で倒れ国立村山病院に入院治療後同年六月一一日仮退院していたが、同月一五日国税局により本件脱税の件で調査をうけた。

被告人は当然のこととはいえ病いをおして当初よりむしろ積極的に事実を認め調査に協力した。

(2) 脱税額の決定と経費の認定をめぐる経緯

脱税額の認定について被告人は当初二億五千万円と自認していた(これは昭和五五、五六年度の利益から五四年度の損失を差引いて考えたもの)が被告人の前年度の損失を考慮すると、国税局が認定した約三億六千万円の金額とほぼ一致するものであり、被告人の調査当初からの素直な協力が裏付けられるものであり被告人は国税局の認定額を素直に受け入れた。

また被告人は商品取引の利益による所得に対する経費の算定について、本件のような多額の所得のケースについては交際費、交通、通信費等の経費について多額な金額を計上することが一般的であるが、貧農の出で幼い頃から苦労をして今日を築いた昔気質の性格ゆえ無駄な費用は費わず、またいわゆるあぶく銭であるからとて、湯水のように費うことはしなかった事実をそのまま調査官に述べたため調査官側でも好意を持ち、一括して経費を認定していただいた経緯もある。

(3) 決定額と納税について

本件についての国税局による調査は昭和五七年一二月初め頃終了し、税額の決定通知が同月一八日に被告人に対しなされた。

被告人はこの決定をうけて、直ちに同月二〇日に昭和五五年、昭和五六年所得について修正申告をなすと同時に両年度の本税二億五千三百万円強を即日納付した。

また右本税に対する延滞税として金三千百万強を支払い、また重加算税金七千五百九十万円については一〇回にわたる分割納付の許可を得、昭和五八年五月から昭和五九年二月末日までの納付金を滞ることなく納付完了させた。

更に本件に付随して住民税を三千五百万円強を追加納付するなどし、結果的には商品取引によって得た利益額を大巾に上回る約四億円を納付するに至り、そのため被告人は現在経済的に困窮する状態にも陥っている。

(四) 従前からの納税態度

被告人は今回はこのような多額な脱税を犯してしまったが、被告人はこれまで昭和四八年~四九年頃には不動産譲渡所得により立川税務署管内で二番目の高額納税者になるなどしながらこれまで一度たりとも脱税をしたことはなく、極めて真面目なかつ優良な納税者であり、納税態度であった。

また本件摘発後は本件を反省し、より一層真面目に納税するよう心がけ他の人にも自己の悪体験を話し、よりよい納税するよう説きながらまた自らを戒しめている。

(五) 被告人の健康状態

被告人は老分の上本件摘発直前に脳溢血で倒れた後今日まで病状は思わしくなく現在毎週継続的に通院し、治療を続けている状態である。

二 以上のような諸点、特に商品取引の特殊性、および本件脱税をした結果、利益をはるかに上回る納税を余儀なくされたことによる被告人の経済的困窮に陥っていることをご配慮いただき原判決特に罰金刑について減軽されたい。

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